空気をデザインすること / 鴨川の家:新関謙一郎(住宅特集0511)

「建築を設計する」とはどういうことだろうかと考えることがある。プランや構造を考え、それらを統合させた結果として物理的なアッセンブラージュを得る。その際、建築家の意識は往々にして「建築」そのものを構成することに集中しがちである。頭で理解しやすいからだろう。しかし建築を誌面で見る時、その建築の環境や空気を感じたいと思う。だがその思いをかなえてくれる作品は少ない。だからその匂いをかすかに感じたとき、実物を見てみたいと思うのだ。9月号は別荘特集である。周辺環境と決別せざるをえないことの多い都心住居に比べて、別荘は建築が周囲に醸し出す空気感こそを問われている形式だと思う。そうした視点で今回の近作訪問に新関謙一郎の「鴨川の住宅」を選んだ。掲載された数少ない写真に空気の匂いを感じたからである。東京駅からビューわかしお号に乗って2時間。房総半島の先っぽにある鴨川の駅に到着する。シーワールドで有名な鴨川は思っていた以上に小さな駅だった。駅から歩いて数分の距離にビーチがある。夏の終わりを惜しむようにたくさんのサーファーが海と戯れていた。どことなく世界と決別した時間が流れている。鴨川はそんな静けさがある街である。初めてお会いした新関さんは、年代物のワーゲンに乗って現れた。ここから敷地まで車で20分。車はビーチとは反対側の山へ向かって走る。途中ここが最寄りのバス停だと教えてくれる。バスはわずかな本数しか止まらず、しかも敷地まで歩いて30分かかるという。大変な敷地である。どうみてもこの先に別荘があるようには思えない農道を車は進み、こんもりした森の入り口へ。と、新関さんが敷地を説明するのでこちらへどうぞという。木の枝と蜘蛛の巣を払いながら森の中を進むとパッと視界が開けて、かなり大きな水面が見えてくる。農業用の貯水池らしいが、むしろ小さな湖という感じだ。その水面に面したエリアを指して、あの端までが全部敷地だと説明してくれる。約4000坪の敷地を何年もかけて建て主が集めたのだという。なんともスケールの大きな話にまず驚く。

入り口に戻って、森の中に新しく造成された道路を上っていく。周辺のラフな雰囲気がアメリカやカナダの自然林のなかを歩いている感じを思い起こさせる。隣に家が建たないようにエリア全体を敷地としただけあって、周辺から隔絶した世界である。この広大な敷地のなかでどうやって建設場所を決めたのかを聞くと、地形や地盤を考慮しかつ木を切らないという条件を考えると、自ずから決まってきたと言う。もちろんそのために何度となく森のなかを歩き回ったのだと。その行為はあたかも自然と対話する作業であり、おそらくこのいままで人と接することの少なかった自然と人間をつなげていく作業でもあったのだろう。それは建築というよりもほとんどアートに近い行為であり、ヨーロッパの建築教育で大事にされている感覚でもある。まずこれが空気の匂いを感じさせた原因の一つなのかもしれない。道路の突き当たりの水面に向かって下がっていく森の中に「鴨川の家」が建っているのに気がつく。全景は分からない。ボリュームとボリュームの隙間がいわばゲートである。このかなり絞られた空間を抜けると、大谷石で床が覆われたピロティースペースにでる。ここがこの家の中心でもあり、全てのエントランスでもあるようだ。実はこのテラスから水面にむけてかなり傾斜がある。歩くのに気をつけなくてはならないほどだ。周りをよく見ると、かなりの急斜面に建築が建てられていることがわかる。この急斜面に木を切らないで、かつ建築としてデザインしていくのは、想像以上に大変な作業であったに違いない。地盤は悪く、木造だがかなりたくさんの杭を打ってあるのだそうだ。周囲を見て回ることがそんなには出来ないので、すぐ内部へ。鴨川の家は、3つのボリュームを敷地に置き、それらをテラスでつないだような建築である。ボリュームの一つは屋上の檜の露天風呂へ続く動線だけで出来た建築で、そのなかにエントランスとシャワールームが組み込まれている。廊下のような不思議なエントランスを抜けて上階へ。パッと視界が開けた先にあるリビングスペースは、空中に放り出されたような浮遊感のある空間。連続するテラスも森の中に浮かんでいるかのようだ。

研ぎ澄まされたミニマルなデザインとディテールが建築であることをそぎ落とし、その落ち着いた色調は自然の陰影に溶けてミニマル建築として主張することすらもそぎ落としている。ただ環境をディスターブしない建築を作るのではなく、しっかりと周到に練られた空間構成があるからこそ、建築が消えた後にその空気だけが残されているだ。女性の残り香のような建築と言えば良いのだろうか。ダイニングや寝室に開けられた大きな開口もまた素晴らしい。完全に引き込める木製サッシュが周辺の自然を文字通り切り取り、空気が描かれた優れた日本画のように美しく、時間を忘れさせる。慎重に選ばれたヒバ、サイザル、大谷石などの床材とその施工精度の高さ、それらをつなぐディテールの省略によって、ここで作られた空気感は阻害されることなく、建築の内部と外部を同一化させているのだ。ミニマルデザインが決して都会的なテイストではなく、「空気をデザインする」手法の一つであることを「鴨川の家」は示していた。そしてその実現が建築設計という行為を超えた作業の結果であることも教えてくれていたと思う。(吉松秀樹)


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