新奇性と永遠性のあいだ(住宅特集0604)

 

建築とは、新奇性と永遠性の間に線をひく行為なのだろうか。そんなことをLouisKahnのドキュメンタリー映画「MyArchitect」を見ながら考えた。

ペンシルバニア大学とボザールで建築を学んだKahnは、独立が遅く、自己のスタイルに目覚めた時は50歳を過ぎていた。現代建築でありながらも古代建築のような永遠性を追い求めようとしたその求道的姿勢は、没後30年経ってなお彼の建築や言葉に輝きと力を与え続けている。

こういった現代建築が文化遺産となりえるのかという議論において興味深いのは、その評価軸にある。モダニズム以降、新奇性は過大に評価されてきた。その歴史的記念碑として残されるべき建築はあるだろう。しかし、それらが輝きを放ち続けるかと考えると、疑問を挟まねばならないものも多い。建築の空間として力を持ち得るものを永遠性とするならば、新奇性は時間の経過と共に失われ、永遠性に取って代わられていく。これを消費と呼ぶこともできる。

商業建築のように常に消費と向き合わねばならないプログラムや機能の時代的変化に追従せざるを得ない施設は、永続性より新奇性が勝る場合もあるだろう。インスタレーションとしての建築。

住宅建築はどうだろう。新しい生活像は、建築家よりも住まい手に委ねられている場合が多い。だから、こんな家に住めるのか?という新奇的驚きは、本来建築の評価とは切り離されて語られるものである。住宅は最も原初的な建築であるからこそ、空間としての力、永遠性をより評価しなくてはならないと思うのだ。

建築とは、永遠性を築きあげるために新奇性を追い求めるもの。これが新奇的なのか永遠的なテーマなのかもまた難しい。


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