建築と感覚(『 ケンチクカ 』 藝大けんちくか100年1100人 )

芸大へ助手で戻っていた平成元年頃、感覚考査を再び入試科目へいれることとなった。感覚考査という言葉自体初耳で、いったい感覚考査とは何か?と過去の入試の流れを調べたことがある。

 

芸大建築科は、少々生い立ちの変わった学科である。工学部ではなく、美術学部にある建築を学ぶ学科。しかも、建築学科ではなく建築科と呼ぶ。その定員は7〜8名から始まり、9〜15名の間を変動していたが、昭和38年以降、40年間以上も15名前後が守られている。

このわずか15名を目指して、10倍弱から多い年では30倍を超える受験生が押しかける。その入試はかねてから学科の一大事であり、教室会議の数十パーセントは入試に関するものだという噂もあるぐらいである。

本来そんなに絞る必要などなく、ある程度いれて落としていけば良いのではと思うのだが、この少数精鋭教育こそが建築科の伝統ということなのだろう。かつては、絞って入学させた学生を更に毎年のように落としていき、まともに卒業する学生がいない年もあったと聞く。実際、入学した時の4年生は30名以上もいて、そのうちストレートで4年になったのはわずか4名であると聞き、大変なところへ来てしまったと思ったものである。

 

建築科において入試はかくも重要なのだが、これは新制大学となった当時の教授の吉田五十八や助教授の吉村順三の言葉にも残されている。吉田は「大学教育は入試にはじまる」と説き、吉村は「建築をやるのはいろんなことを知っていると同時に、感覚がとても良くならなくてはならない」と考えて、受験生の感覚を見ることを重視した入試問題を作成したという。吉村によると、吉村が問題を作成し、吉田五十八、岡田捷五郎が検討、承認するという形式であったようだ。(*1「吉田五十八先生を偲んで」吉村順三 「吉田五十八建築展」平成15年東京芸術大学芸術資料館)おそらくは、これが感覚考査の始まりである。(*2 正確には昭和24年入試から感覚考査が始まり37年まで続く。平成2年に復活)

 

当時、吉田には日頃から「建築家にはカンが大切だ」という口癖があったという。それには二つの意味があり、ひとつは施主の希望や意見に対するカン、もうひとつは空間や寸法や材料感に対するカンであった。(*3 「吉田先生と私」山本学治 建築文化1974年5月号)

そういう意図もあったのか、当時の感覚考査問題をみると、わら半紙に設問だけが書いてあり、試験場に無造作に置いてあるロープの長さを当てさせたり、製図室の天井高さや坪数や相応しい色を答えさせたり、タンスや襖や障子の大きさを問うたり、壁面の図形を見させて、その輪郭線の総長や面積・体積などを考えさせたりする問題が出されている。

当時は、写生と製図試験があり、学科の他に教養考査や身体検査がある年もあるなど、総じて大人びた入試問題が多い。多岐にわたるチェックをして受験生を選抜している感じがあり、まるでちょっとしたパイロットや宇宙飛行士の試験のようだ。吉村は、吉田に「落とした学生のなかにも優秀な学生がいるのではないか」と、よく聞かれたと述懐している。(*1)

この入試の形式は毎年のようにマイナーチェンジを繰り返しながら十数年続いたが、昭和40年以降、感覚考査や製図試験は姿を消し、学科+写生+造形という現在の入試形式に移行している。驚くべき事に、実技の入試形式は約40年間ほとんど変化していないことになる。センター試験の全面的な導入に伴い、実技以外に感覚考査を1次試験として組み込むこととなったのは、その当時でも約20年ぶりの入試改革であった。調べた過去の経緯を踏まえて、様々な議論をした記憶がある。それは、まだ建築を職業とし始めたばかりの自分にとって、建築設計とは何かを考えさせられた貴重な経験であった。

 

どの大学も設計を学ぶ学生の上位グループはおおよそ15名であるという。建築科は、その上位だけを入学時に選抜しているとも考えられる。とすれば、感覚考査は、設計すること、建築を考えることに向いている人材を見抜かねばならない。しかも、現在も続く、立体造形試験と建築写生試験の一次選抜の意味もある。実技試験の評価軸とは何かも考えなくてはならないのだ。

 

では、建築設計には、いったいどんな感覚が必要なのだろう?吉田五十八の説のように、バランス感覚、スケール感、空間把握能力といったものはその重要な要素に違いない。気配りができる能力やテキパキと段取りが出来る能力もいるかもしれない。スタッフを率いるためにはリーダーシップ能力も必要だろう。そう考えると、昨今の入社試験と同じようなことを考えなくてはならなくなる。

残念ながら現在はないのだが、永らく建築科の入試に面接が残っていたのは、そういったバランス感覚やコミュニケーション能力を見抜くことを入試に求めていたからかもしれない。学科がいくら良くても芸大はダメなのだと。勿論、そういった論理は段々と通用しなくなってきている。全てを点数化しなくては、公平さを保てないからだ。面接がなくなったことは、そういった世情をよく表しているのだろう。

 

では、定量化できる建築的感覚とは何だろう?と考えて、頭のなかで立体が描けるかどうか、つまり二次元の図形から三次元を想像できる能力をみることとなった。建築家は図面から建築を想記できなければならない。図形認識に優れているかどうかは重要なポイントである。頭のなかで立体図形を回転させるには、3DCGのレンダリングを考えても、相当の演算能力を必要とする。そういった演算や表示ができるグラフィックボードの有無を問う必要があるというわけだ。

こう考えたのは、かつての感覚考査に文章から住宅のプランを選ばせる問題があったからでもある。(*4 昭和32年感覚考査)ここでは、複雑な条件を整理して、正しい空間を選択していく能力が問われている。建築の実務において、分析能力と編集能力を要求されることは意外に多い。それは、建築が決断することの集合体でもあるからだ。

 

実は同時期に実技と設計能力との相関を調べたことがあった。立体構成や平面構成には明確な関係性を見いだせなかったが、写生の成績が良かった学生には、設計のできる学生が多かったように記憶している。そこでなぜそうなのかを考えてみて、画を描く時の目と頭の動きに建築の設計行為が似ていることに気がついた。デッサンをする時、目は対象物と画面を何度となく往復し、チェックを繰り返す。上手であればあるほど、その作業量は増大し、細かい差異を発見し、修正をかけていく。画を描くことは、その小さなチェックの総体なのだ。同様に、建築の設計も、案を何度となく推敲し、理想と現実の間で細かい修正をかけていくことが、緻密な設計や優れたデザイン、プロポーションへとつながっていく。どれだけのチェックをし、どれだけの決断を下したかが、建築の美学として表れるのだ。

 

現在のようにコンピューターによって建築設計作業のかなりの部分が行われるようになっても、空間の認識が目と頭の往復で行われる限り、描くことの重要性が失われることはないだろう。それは建築が身体に向き合うジャンルであることと密接に結びついている。私たちの身体寸法が変わらない限り、建築におけるスケールやプロポーションの意味は変わらない。思い起こせば、芸大の授業で最初に教わったことは、竹製の定規を細く削り、図面にしならせて当てられるように加工することであった。当時、随分アナクロな教育だと思っていたが、3角スケールではなく、普通の定規で測り、頭でその縮尺を換算する行為が身体化できたことは、その後の建築家としての財産となっている。そういった身体に基づいたスケール感を手に入れられるかどうかも、建築設計にとって大事な要素なのだ。

 

現在の感覚考査は、3次元的な把握能力とその描写という形式になっていることが多いようである。そこには今まで述べてきたような様々な考えが内包されている。しかし、感覚考査が能力選抜である限り、建築を作るために必要な、形を生み出していく力やモチベーションの強度を見ることは難しいと言わざるを得ない。

海外の建築教育では、何もないところから形を生み出せていける能力のある人にだけ、高度な建築教育を課していこうと、容赦なくふるいにかけて落としていく学校がある。建築設計には、処理能力や身体感覚だけではなく、形を産み出していこうとする意識もまた重要であると最近強く思うようになった。

建築は奥深く、いつまでたってもその真理をつかむことはできない。だからこそ、感覚考査は、建築科の伝統として、時代と向き合いながら、いつまでも残っていて欲しいと思う。

 


概要 | プライバシーポリシー | サイトマップ
© 2013 archipro architects. All rights reserved.