住宅に立ち向かう / スガモハウス:長尾亜子(住宅特集0603)

 

最後に何を選ぶか悩んだ結果、あえてインテリアを選ぶことにした。長尾亜子の「スガモハウス」である。最初に伺った中村好文さんの住宅で「家具を裏返しにした」と評したことが、自分の中でずっとひっかかっていた。果たしてそれは評になっていたのだろうか。つまり本来、住宅とはインテリアのことではないのかと。住宅の外観について書くことは多くない。日本の住宅事情の結果として、ポーンと投げ出された、いわるゆそっけない造形にならざるを得ないことが多いからだろう。しかし、それ以上に住宅にとって、外観はそう大きな要素ではないと思うようになったからかもしれない。

ならば、インテリアと住宅建築を分ける必要はない。建築メディアでも、改修などのインテリア作品はだんだんと等価に扱われてきている気がするのだ。1月号は、いわば中堅エース級を20名集めた特集号であり、各作品の冒頭にある建築家達のエッセイを興味深く読んだ。その中で「住宅そのもの」への異議を唱えていたのは、北山恒と長尾亜子の二人であったと思う。長尾さんとは面識がなかったのだが、彼女の住宅のイメージ論と領域論に大変興味を覚えて、訪問させていただくこととなった。

 

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巣鴨駅からほど近い緑豊かな環境に建つ瀟洒なマンションの中にスガモハウスはあった。聞けば40年前に久米事務所の前身が設計したものだという。古き良きモダニズムの匂いと未だ古さを感じさせないグレード感が漂う、日本らしくない集合住宅建築である。半地下にはゆったりした駐車場と全戸分のトランクルームが並び、各戸には大きな床までの開口がある。テラスはなく、屋上に共有の洗濯干し場があり、セントラルヒーティング用の大きなボイラー室が各戸にある。欧米の集合住宅の形式をそのままポーンと持ち込んできたような骨太な集合住宅である。一目見て、「ああこんなマンションがもっとあればいいのに・・」と思わせる社会資本としての建築、インフラとしての建築。決して華美ではない、本物感。建主の方もそこに惚れ込まれたのだそうだ。

 

オリジナルのままだという牛乳入れとポストがついたスチールドアを開けて、内部へ。大きな現代美術の色彩が迎えてくれる。インテリアは躯体が白く塗られていて、現代美術のギャラリーのようなテイスト。廊下のようなスタディースペースを抜けてリビングへ。といってもワンルームだから、そこが全て。完全にひとつながりの空間である。

バーンと開いた大きな窓の先に緑が見え、陽がさんさんと降りそそいでいる。カーテンの類はまるでない。もともと大きめの2LDKがワンルームになっているだけあって、ゆったりとした雰囲気。しかし、そこに作られたいくつかの領域がはっきりと、そして曖昧に空間を分けている。水回りの位置は動かしていないとのことだが、壁を天井まで立ち上げず、デザインの比重を下げてデザインしてあることが、この空間の一体感を強調している。床仕上げは、カーペット・タイル・モザイクタイル・タタミと細かく変えてあり、曖昧な連続感と領域感を作り出している。といっても、それは床仕上げだけで出来ているものではない。なんとも絶妙な解像度で出来ていると言えばいいのだろうか?

ぼんやりとした絵が描かれた現代美術作品のように、高解像度のものをわざと低解像度で描いたような感じだろうか。そこに新鮮さを感じたし、写真では味わえないのではという興味を覚えたのである。

 

将来はお子さんの領域として囲う予定であるという細長いタタミがひかれたスペースで、長尾さんと建主の方に色々とお話を伺う。

ワンルームであること、しかし個々の場所は自立しているというイメージは、当初から建主の方に強くあったそうだ。その矛盾に悩んで、長尾さんは設計に10ヶ月もかけている。十二分に練られた住空間なはずである。

彼女が取った手法は、インテリアの設計では通常用いない手法であるといってよい。「必要な場」を決め、形や素材を与えてから、その場が最適になるまで微調整を繰り返す。

建築というよりもランドスケープの設計手法に似ているのかもしれない。複数の場は固定されずに複雑に絡み合っていく、しかし、その場そのものは曖昧ではなく、しっかりとした輪郭が与えられているのだ。

コンピューターを用いた思考を説明する時に、よく集合で説明する。ツリー構造のベン図の円は決して重ならないが、コンピューター上のデータベースの円は何十にも重なっている。一つのデータは、いくつものサブセットに属しているが、データそのものが曖昧なわけではない。だから、検索の度に新しいサブセットが生まれるのだ。

なんとなくそういったセミラティスな構造が建築化された住宅を僕は初めて見たような気がしたのである。

 

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最後の近作訪問である。同時期に学会の作品選集委員もしていたので、本当によく建築を見た2年間だった。建築を見るだけではなく、設計者と建主の両側から話を伺えることが大変興味深く、そして様々なことを考えさせてくれた。

毎回どの作品を選ぶのかでいろんなことを考える。写真で見たいと思う場合もあるし、文章に引っかかる場合もある。逆に実物を見ないと分からないと考える場合もある。

近作訪問ではあるが、評論として誉めることを考えた。つまり、文章がかけるかどうかが判断基準であった。そうすることで自分自身の現在の興味も明らかになるだろうし、作者の意図も明確になるだろうと考えたからである。

10年前の月評時と違ったのは、感想をよくメールでいただいたことだろう。好意的なものが多かったが、批判をいただいたこともある。批評は難しいと再認識する2年間でもあった。ポジティブな評価な結果であるとしてお許し願いたい。



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